シエラレオネ
2006年5月9日久々に交易に漲っている父様に従って
これまた久々にシエラレオネにやってきました。
欧州から一番近いダイヤの算出港です。
家族総動員での宝石運搬となりましたが、
幸いにも海賊の方々とは全く出会わず、更には相場も良好だった為
漲ってる父様に引っ張られ、2往復もする羽目になりました(’-’;
丁度ポルトガルの同盟港なので、税金もかからないですから
父様が漲るのもしょうがないかもしれませんね(’-’*
今日はそんな「シエラレオネ」について
ちょっとだけ書いてみたいと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
正式名称は英語で、
Republic of Sierra Leone(リパブリック・オブ・シエラ・リオン)。
通称、Sierra Leone(シエラ・リオン)。
日本語の表記は、シエラレオネ共和国。通称、シエラレオネ。
国名は、ポルトガル語のSerra Leoa(ライオンの山)を
スペイン語に翻訳した言葉Sierra Leonから来ている。
「ライオンの山」と名付けられた理由については、諸説ある。
現在のフリータウン付近にいたポルトガル人が、
山の方からライオンのように轟く雷鳴が聞こえたため名付けたという説や、
山から海へ吹き降ろす風が
ライオンの咆哮に似ているので名付けたという説などがある。
以上WIKIより抜粋
発見したのはポルトガルの航海士だったそうですが、
その後はイングランドによる奴隷売買の地として名が通ったようです。
かのフランシス・ドレイクも奴隷獲得のために
この地に来たことがあるそうですね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
シエラレオネといえば
ポルトガルとイングランドが初めて本格的にぶつかった地でもありますね。
それまで北海での活動が殆どだったイングランドが
ダイヤ産出の情報と共に一大攻勢をかけ、奪取した地。
あの頃のわたしはまだ幼く、当時は何一つ理解できなかったのですが、
撤退が決定した日の夜の父様の憤る声だけが、未だ印象に残っています。
冒険家として生きている今のわたしには
旗の色の実感はあまりないのですが、
イングランドの私掠海賊が拠点とするこの海域において
この港の旗の色が持つ意味を、実感せずにはいられません。
長くなりました。
今日はこの辺で筆を置くことと致します。
これまた久々にシエラレオネにやってきました。
欧州から一番近いダイヤの算出港です。
家族総動員での宝石運搬となりましたが、
幸いにも海賊の方々とは全く出会わず、更には相場も良好だった為
漲ってる父様に引っ張られ、2往復もする羽目になりました(’-’;
丁度ポルトガルの同盟港なので、税金もかからないですから
父様が漲るのもしょうがないかもしれませんね(’-’*
今日はそんな「シエラレオネ」について
ちょっとだけ書いてみたいと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
正式名称は英語で、
Republic of Sierra Leone(リパブリック・オブ・シエラ・リオン)。
通称、Sierra Leone(シエラ・リオン)。
日本語の表記は、シエラレオネ共和国。通称、シエラレオネ。
国名は、ポルトガル語のSerra Leoa(ライオンの山)を
スペイン語に翻訳した言葉Sierra Leonから来ている。
「ライオンの山」と名付けられた理由については、諸説ある。
現在のフリータウン付近にいたポルトガル人が、
山の方からライオンのように轟く雷鳴が聞こえたため名付けたという説や、
山から海へ吹き降ろす風が
ライオンの咆哮に似ているので名付けたという説などがある。
以上WIKIより抜粋
発見したのはポルトガルの航海士だったそうですが、
その後はイングランドによる奴隷売買の地として名が通ったようです。
かのフランシス・ドレイクも奴隷獲得のために
この地に来たことがあるそうですね。
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シエラレオネといえば
ポルトガルとイングランドが初めて本格的にぶつかった地でもありますね。
それまで北海での活動が殆どだったイングランドが
ダイヤ産出の情報と共に一大攻勢をかけ、奪取した地。
あの頃のわたしはまだ幼く、当時は何一つ理解できなかったのですが、
撤退が決定した日の夜の父様の憤る声だけが、未だ印象に残っています。
冒険家として生きている今のわたしには
旗の色の実感はあまりないのですが、
イングランドの私掠海賊が拠点とするこの海域において
この港の旗の色が持つ意味を、実感せずにはいられません。
長くなりました。
今日はこの辺で筆を置くことと致します。
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